TAKESHI YAMAMKADO
代表取締役山門武志
とにかく、行動あるのみ
起業家、実業家、コンサルタント、スポーツチームのトレーナー・・・。これほど多様な事業経験を積んできた人物も珍しいかもしれない。
山門武志、40歳。2016年に創業した株式会社CREDO代表である。
山門さんは、専門学校卒業後にアメリカに渡米し、東イリノイ大学を経て日本の大学を卒業。その後は一貫してトレーナーの力を生かしてアスリートに対したサポートで信用をつくり続けてきた。
北上市で起業し、県内初となるプライベートジムを創業すると、立て続けに県内3つのスポーツチームと専属契約を行なってきた。2020年のコロナ禍に事業の多角化を表明すると、月が丘に運動療育に特化した放課後等デイサービスを展開。前例のない事業を次々と成功させ、黒字化させた後に2022年に本宮店、2025年には緑が丘店と現在3店鋪を経営し、19名の社員を率いている。
多忙な本業の傍で東京五輪のメディカルスタッフなどに関わったり、地域総合型スポーツクラブの理事を務めたりするなど、様々な肩書を持つ。
開所前にいきなり社員が退社…絶望のスタート
2020年に『運動療育型児童デイサービスCREDO』の開所に向け、懸命に奔走する最中、突然一人の社員から「やっぱり私この仕事向いてません!」と退職希望を叩きつけられました。児童福祉において知名度ゼロの弊社が、募集しても全然応募がなく、やっと採用した人材の一人が開所前にまさかの退職。いきなり休所に追い込まれました。でも、全て私の責任です。だから、とにかく資金繰りが大変、火の車でした。「もう、無理なのかなぁ…」という絶望の状況を何度も何度も繰り返す自転車操業の日々。資金が潤沢にあれば良いのですが、そんなスタートアップはほとんどありません。『絶対にうまくいく!』と自信の塊だった私も、24時間お金のことが頭から離れず、とうとうメンタルの不調に陥り、夜に眠れず、おまけに何度も深夜2時頃に突然バッと目が覚め、その後眠れなくなる日が続くドン底を味わいました。
支援が行き届いていない子どもたちに運動で自信や笑顔を届けたい
学校では怒られてばかり、体育に参加できない…
いくら立派なビジョン、確かな戦略を立てても、お金がなくなれば人はついてこなくなるのが現実だったりします。不確かな将来では社員も不安になるでしょうから、それは当然です。「ビジョンで飯は食えない」と、何度絶望したところで状況は好転しません。だからこそ、「この会社は何のためにやっているのか」と何度も何度も繰り返し考え続け、「我々の大切にしたいこと」という価値観やミッションには妥協せず、採用活動を行なっていきました。何とか人材に目処が立ち、いよいよ2021年4月に開所。でも、新参者の私たちに世間の目は冷たいもの。「運動療育」という新しいアプローチは魅力や効果がお客さんに伝わらず、集客に失敗し続ける日々。その間お金はどんどん銀行口座から減っていき、追加で資金調達しなんとか食い繋いでいったのです。
僕はそんな子達にこそ“運動療育”を届けたい!と思って始めた
子どもたちの中には、幼稚園や保育園で多少過活動であったり、集中力が欠如していても、また友達とうまく遊べなくても積極的に病院受診する保護者は多くありません。でも、その子達が小学校へ入学すると徐々に問題や課題が顕在化し、どんどん困りごとが増えてきます。
学校の授業についていけなくなったり、友達とのトラブルが絶えず友人ができなかったり、ルールや決まり事が理解できず体育や運動会にうまく参加できなかったり…。社会性を身につけられないまま、大人になった子ども達はその後社会に出て困ることは明白です。中には学校生活で孤立し、苦痛で不登校になる子も後に絶えません。では、その子たちはどんな支援を受けているのでしょうか?それが日本ではほとんど「様子見」という放置同然にされているのです。それでは、社会に行き場のない子達が増え続けてしまう…という危機感をホウデイを開所して益々感じ続ける日々でした。
同じ船に乗ってくれる仲間であり、クルー
運動療育とは、様々な刺激を脳や神経、感覚に与えることで機能を改善し、発育を促すことで困りごとの軽減を図っていきます。だからこそ、幼少期など早ければ早いほど効果的だと言われています。集客に苦しみ続けたCREDOですが、開所してから半年が過ぎ、1年が過ぎる頃には事態が好転しはじめたのです。病院の先生や相談支援事業所の方から推薦をいただけるようになり、通ってくれている子どもの親御さんから「子どもが楽しんでます!」「〇〇ができるようになりました!」などたくさんのお客様の声をいただくことで、運動療育の魅力が伝わり、どんどん利用したいという申し込みが増えていったのです。そんなお客様の声を見ることが、どれだけ僕の心の支えだったか計り知れません。ただ通ってくれれば良し、とはせず、あくまでも子ども達の機能を改善し、少しでも困りごとを軽減し、楽しませてこその運動療育だと、こだわり続けてきた成果が少しずつ出始めたのです。